いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2021/05/13

ニュースが忙しすぎる一週間

今年の台湾は雨が少なくて、各地で水不足がかなり深刻です。そういえば去年は大きな台風が来なかったし、今年もまだ台風の足音が聞こえてこない。月末まではずっと晴れマークが続く模様。九州は例年よりも早い梅雨入りらしいですが、例年ならば台湾にかかるはずの梅雨前線が、北上しすぎちゃったみたいです。戻ってこーい!

さて、先週末はオット氏知り合いの披露宴的食事会に参加してきたんですが、
ホテルやレストランじゃなくて、道にテントを張ってテーブルを配置して、という屋外タイプ。今でもまだあるんです、昔に比べたら少なくなってきたけど。

奥さんずいぶん若いなぁ、と思ったら、東南アジアの某国からお見合いで来た方だとか。まだハタチにもなってないって!

東南アジアや中国からお嫁さんを迎えるっていうムーブメントが大きめだったのは15年くらい前でしょうか(あくまで私の肌感覚で、実際どうかはわからないっす)。ベトナムなんかは経済成長けっこうすごいですし、街も繫栄してお金持ちも増えてるし、なのに今、台湾に来るん?とか思ったりもしたんですが、きっと私が知ってるのなんて、ほんの一部でしかなくて、大変な暮らしをしている人は今もいっぱいいるのかも。

話戻って、台湾人の慣習として、お酒(飲み物)を飲むときは敬酒といって、乾杯をしながら誰かと一緒に飲むんですね。一人で黙々と飲むのはタブー。

自分のテーブルの人たちとひとしきり飲んだ後は、隣のテーブルや、知り合いのところに行って、〇〇さん!乾杯!といって、飲み続けます。

結構久しぶりにこういう場所に来ましたが、隣のテーブルから、左手に瓶ビール、右手にグラスを持ったおじさんが、私の背後に立って大声で話をしながら、テーブルにいる数人と順に乾杯を繰り返していました。その人が去ると、また別の人が来て乾杯。

お祝いの席だから、賑やかにみんなでお祝いしながら楽しく飲むのはいいけど、後方から、めっちゃ飛沫浴びてる感じするわーっていう状況で。

で、思いました。こんな飲み方が常態化してる台湾で、コロナが広がってないのは、謎!!!かなり謎!!!カンボジアやベトナムや、東南アジアでも4月末から感染者の報告が相次いでるのに、台湾だけゼロが続いてるなんて、謎すぎる!!!

その頃、某航空会社と、その人たちが宿泊していた防疫ホテルのスタッフの間で感染が広がっていたというニュースがでます。

とうとうコロナが台湾にも、、、という空気があっという間に台湾全体を覆い、今週は週明けから台湾の株価が連日暴落して、けっこうな数の人が卒倒寸前になっています、たぶん。

株価の暴落だけでも結構な衝撃なのに、続いて北部ではコロナの市中感染が報告されます(イギリス変異種)。

市中感染が報告されるや否や、スーパーや薬局は、マスクや消毒液、ティッシュや食料の買い占めで人が溢れる謎。

去年のコロナの時もですが、ティッシュは毎度買い占めの対象に選ばれるんですね。フシギ。

会社でも友人間でも、株とコロナの話で持ち切りとなった今日、台湾は発電所のトラブルで全国的な停電に。トラブルがあったのは高雄の発電所なのに、台北や台中でも停電に。水不足だけでもうけっこうしんどくなってるのに、停電になるってどういうことよ!?

水不足に加えて、今日の停電で、明日の株価はまた一層下がるかもしれません。

ニュースを見てると、市中感染は5月初めから発生していたようだけど、中央政府が隠していたんじゃないか、みたいな話も出ていて、、、隠ぺいか、、、

台湾でもワクチン接種は始まってますが、アストラOnly。接種の意欲が高まるはずがないですよね、、、

日本にいる娘氏は、感染者が二桁出ただけなのに、台湾は相変わらず大げさだねぇ、って。うん、その気持ちもよくわかる。

あぁ、そういえば、今週初めはオット氏の大学のクラスメイトの急逝の知らせも入っていたか。

で、私の方は、勤め先の社長が世代替わり。社長に肺がんが見つかり先月手術。高齢なこともあり、将来を見据えて40代の子供が二代目の社長へ。

体力なくて走れません、なんて弱気なことをいってたら、あっという間に置いて行かれて取り残されてしまいそうだわ。

色んなニュースが忙しすぎて、金曜日を待たずして息切れ。これから、どうなっていくんだろう。

2021/05/07

もやる母の日

台湾の母の日は5月の第二日曜日、今年は5/09。
 
義母が股関節の手術をしたのが2016年、その後義姉の介護を受けるようになってから、5年が経ちます。
 
一般的に、認知症が始まってからの平均余命は8年と言われているようですが、義母が明らかに認知症が始まってるな、と思ったのは2014年なので、かれこれ7年経ったことになりますね。
 
認知症が進み、家族のこともわからなくなり、横になっている時間が長くなり、それでも施設に入れずに自分で面倒を見切る!と固い意思表示をした義姉を尊重し、介護の一切を彼女に任せてここまできました。
 
義母は去年の10月に脳梗塞を起こし、その後は視点もそれほど定まらず、呼びかけても反応薄く、完全経鼻栄養となりましたが、それでも義姉は数時間毎に義母をトイレに立たせ、義母の体調管理には200%の心血を注ぎ、頑張っていました。おそらく義姉なりの親孝行の形で、そこに他の兄弟が入りこむスキなどもないほどで、まぁなんというか、何かを超越しちゃってる感じではあったんですが。(介護だけで相当の心労なので、見舞い客を受け入れる余裕はないから、もう安易に見舞いに来るな、的なことも言われたほど)
 
前回義母を見舞ったのは旧正月前の2月。ほぼ寝たきりで、次連絡をするのは天寿を全うした時か、と思うほどの状況でした。
 
しかし、なんの連絡もないまま、今週母の日を迎えます。(基本義姉から連絡はなく、兄弟間は長年没交渉状態。正直にいえば、天寿を全うして、事がすべて収まったとしても、向こうから連絡は来ないような気がする
 
3ヶ月ぶりに、様子を見に行こうかと、嫁のワタクシめが、勇気を振り絞って電話をしてみました。
 
すると、電話に出た義姉が「外出していて不在にしてる(=母の日の訪問はお断り)」というではありませんか。
 
最後に会った義母は、どう見ても外出できる風ではなかったのが、、、まさかミラクルな回復を見せてるとか?いやいやいや、、、。
 
「え?まさか入院ですか?」
 
って、思わず聞いちゃいましたよね。そしたら、「入院はしてない。母を連れて外出してるんだ」と。そして、それ以上は聞いてくれるな、の圧。通話時間はたったの48秒。切られました。
 
え?
 
え?
 
もやるわ。
 
ほんとに外出(小旅行)してるかもしれないし、入院してるかもしれないし、もしかしたらもう天寿を全うしちゃってるってこともありそうな?
 
義姉の人格を否定したくはないけれど、彼女はとても変わった人で、母娘としても共依存の関係にあったように見えました。母のことは自分のこと、母のすべてが自分のこと(もの)。義母が主張をできなくなってからは、義姉の主張が義母の主張に置き換わり、そこに相談や協力や互助みたいなものは一切存在せず、兄弟関係は希薄さ、というか険悪さを増して今日を迎えています。
 
オット氏も、義姉に負けず劣らず親孝行な人だっただけに、相当心を痛めていそうで、そちらもかわいそうな感じではありますが。
 
どこでボタンをかけちがえちゃったんだろう?と過去を振り返ってみても、今となってはどうしようもありません。
 
家族と一口に言っても、いろんな形、関係があるもので、理想と現実には乖離がつきもの。
 
向こうがシャッターガラガラ下ろして、加えて鍵もかけちゃってますからね、それを電動ノコギリでこじ開けて、なんていう荒業は、さすがに無理で。
 
義母は幸せだったのかな。
 
直接伝えることはできないけれど、これまでの感謝と平穏無事を祈りたいと思います。