いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録
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2016/12/04

12月

相変わらず、特に差し迫った年末感の感じられない台湾でございます。

今日などは日中30度近くあり、あまりに好天だったので、久々にオット氏とお墓参りに行ってきました。

その後、義父の様子を見に老人ホームへ。

今日は文藻の学生ボランティアチームの方による訪問&演奏会がありました。

バイオリンをはじめとする弦楽器がメインの演奏会。

学生さんが本当に善良で、優しくて、いい子たちばかりで!!なんだか感動しましたわ。

義父は今日、久々に38度まで熱を出し、イベントには参加してなかったのですが、私たちが着いた頃にはすっかり元気になっていて、ほっと一安心。


元気なご老人たちは、中庭に集まって、演奏会を楽しみ、学生さんと交流。

その後、粘土で、クリスマスっぽいものや、そうでないもの、思い思いに色々作っていたようです。

丸めてピンポン玉くらいの大きさにした粘土を義父に持たせて、ちょっとだけ参加してる感を味わってもらおうと思ったら、餅だと思ったのか、粘土を口に入れた義父(゜□゜;)

危ない、危ない。

もう2年くらい口から物を食べていませんが(経鼻栄養なので)、粘土の真っ白でまんまるな様子を、きっとオイシイモノと認識したんでしょうねぇ。

誤飲させてしまうところだった(汗)


そんな義父に、学生さんの一人が、ゆきだるまを作ってくれました。かわいー。

経鼻栄養にしてまもなく2年かぁ…。

2016/08/03

カイゴモンダイ

好きなことだけして暮らしたい!!と思って、書き始めたこのブログですが、最近はもうすっかりカイゴモンダイに侵食されております。
 
 
義父:中風から4年半。ほぼ寝たきり。鼻からチューブの栄養補給をするようになって2年半。頭はハッキリ。左半身不随。老人ホームで生活中。
義母:認知症の症状が出てきてから2年。7月初めに自宅浴室で転倒、股関節を手術。老人ホームで療養中。
 
 
義母が老人ホームに移ってからまだたったの3週間、在宅介護にあらず、何の苦労があろうか・・・と思うところですが・・・
 
好きなことだけして暮らせるようになる前に、私らの心が枯れそうな勢い。
 
『介護離職』の四文字の前に『介護うつ』という言葉がチラチラと見えてきたほど。
 
義母の体はすっかり元気になりましたが、記憶力の低下が進み、気分の浮き沈みが激しすぎるのが困りもの。オット氏と交代で日参していますが・・・しんどいとは言ってられません。
 
義母の激しい喜怒哀楽、会った人も話した事もすぐさま忘れていく様子、そして実家に帰りたいコールがあまりにエンドレスで、我慢大会に負ける寸前までいきました。
 
体があまりにも元気なので、術後1ヶ月経っていないのが信じられないほど。歩行補助具を嫌がり、車椅子も使わずに危なっかしく歩き回っています。声もよく出るし、よく食べるので、見た目はふつうに元気な高齢者。
 
義母は疲れ知らずで、私たちを見ると、とにかくエンドレスに「今この瞬間の不安」を話し続けます。
 
 
例えば、こんな風。
 
「ここは知り合いもいないし、孤独で寂しい。毎日泣いてばかりいるわ。早く家に帰りたい」
 
「私たち毎日会いに来てるじゃないですか。それにヘルパーさんはいい人ばかりだし、お話できる同世代の人もいますよ」
 
「ここじゃだめなの。孤独なの、寂しいの。やっぱり家がいい。自分の家がいい。家で暮らしたい」
 
「そうですね、でも今はまだ療養期間中だから、看護士さんがいて病院も近い、ここにいるのが安全で安心なんですよ」
 
「私はどこも痛いところがない、健康なのにどうしてこんな施設にいなくちゃいけないのよ。実家に帰る!!」
 
「お義母さんは手術をしたんですよ。まだ術後1ヶ月も経っていませんし、お医者さんから2ヶ月は安静にするように言わましたよね」
 
「2ヶ月?今あなた2ヶ月って言ったの?ああ最低、ひどい、なんてこと。ここに2ヶ月いるくらいなら死んだ方がましよ」
 
「でもまだ静養しなくちゃならないんですよ。どこを手術したか覚えていますか?」
 
「ひざでしょ、ひざ・・・ここら辺に痕が・・・・この辺?とにかくもう痛くないのよ。実家に帰りたいの!!」
 
「ひざじゃないですよ。股関節だから右側の腰かお尻の辺りですよ。触って確かめてみてください」
 
「ちょっと痛いけど、これくらいなんともないわ。だから私は今日もう家に帰れるのよね。」
 
「いや、まだ帰れないんですよ」
 
「なんですって?帰れない?そんなひどい話がある?ああ、もう最悪だわ。じゃ、あとどのくらいここにいなくちゃいけないの?」
 
「2ヶ月ですよ」
 
「2ヶ月?今あなた2ヶ月って言ったの?ひどい、地獄だわ。こんなことってある?耐えられないわ!!」
 
「お義母さん・・・今は静養第一なんですよ」
 
「もう静養したわ。じゃ、あとどのくらいしたら帰れるの?え?2ヶ月?なんてこと!!ひどい!!耐えられない!!」
 
こういうのが私たちがいる間、エンドレスに続きます。
 
 
またあるときは、こんな風。
 
「(かばんの中をごそごそしながら)ねぇ、私の保険証がどこにあるか知らない?どこを探してもないの、見つからないのよ、困ったわ」
 
「看護婦さんに預けてありますよ」
 
「じゃぁ、身分証はどこ?これもないのよ、どこを探してもないの」
 
「身分証は紛失しないように、オット氏が保管しているから、安心して下さいね」
 
「でも保険証がないの。どこを探してもないの。あれがないと不安で仕方ないの」
 
「それは看護婦さんに預けてありますよ」
 
「でも身分証は・・・・」
 
 
怒っても怒らせてもいけない、けんかをしてもいけない、それは分かっていますが、いかんせん私は凡人、菩薩の化身にはなれない。その前にこのエンドレスな会話に苦いものが口の中に広がります。
 
 
機嫌が悪いとへそを曲げてご飯を食べず、今日はちゃんと食べるのかと思うと、食べ終わってすぐに食べたことを忘れて「ごはんまだ?」と催促。
 
自宅介護している人は本当にすごいと思います。私はこれだけでもう折れそうだというのに。
 
 
さて、15年前に離婚した義父母が、奇しくも老人ホームで再会。初めの2週間はホームのスタッフによって、顔をあわせないよう配慮されていました。が、3週間目の昼下がり、ホールにて再会。
 
再会初日、義母、義父を一目見ても誰かわからず。義父の方が頭がハッキリしていて「私はあなたの夫でしたよ」と。
 
それから思い出したのか、義母の恨みつらみ口撃が、ずーーっと2時間近く続いたそう。遠目で見ている分には、話が弾んでるようだわ♪とか思えたらしいんですが、義父にとっては罵倒されっぱなしで辛い時間だったでしょう。
 
それから義父が同じホームにいるということが、分かることもあれば、分からないこともある。義父の事をありとあらゆる思いつく言葉で罵倒する日があれば、存在を思い出しすらしない日もある。そんなのが数日続き、先週末大きな変化が。
 
お昼過ぎに訪ねて見ると、義母は義父のベットの側に座り、義父の顔を撫でています。
 
はて?
 
「今日突然わかったの。私、彼を許したわ。全てを許して、彼を支える!」
 
ほえ?
 
「彼、若い頃はそりゃもうイケメンだったんだから。彼の方から言い寄ってきたのよ。沢山のプレゼントをくれてね。幸せな事だって沢山あったわ」
 
はぁ。
 
「彼ね、私のことを名前で呼ぶのよ。私が側にいると喜んで、感動して涙も流していたわ。」
 
へぇ。
 
「ねぇあなた。私が側にいると嬉しいでしょ?ほらこんなにいい笑顔!もうキスしてあげる!」
 
って、冗談かと思いましたが、何度もほっぺにチューを繰り返していました。なんて情熱的なwww
 
オット氏と並んで、唖然としましたよね。義母79歳、義父84歳です・・・・
 
 
でもそれも、過ぎてしまえばリセットされるのだろう、と思いきや!
 
 
ここ2日は私たちを見ても「家に帰る」とは騒がなくなり、朝に晩にと義父のところへいって「あなた、早く良くなってね。よくなったら一緒に家に帰りましょう」と、話しているそうです。これが、本当の姿か、仮の姿かは不明です。依然として気分にはムラがあり、ひどいときは手をつけられないそうなので。
 
 
でも、昼下がりのロビーで隣り合うように座って、
 
「あなたの心には私がいる?」「私のこと愛してる?」
 
とか、聞いてると鳥肌が立つような言葉を、義母は何度も何度も義父に聞いているそうです。それはそれで困る、とホームのスタッフに苦言を呈されるほど。
 
あんなに嫌って、憎しみがあって分かれたはずなのに、その部分がストンと消えてしまった様子。一時的にであれ、義父の存在が義母の心の支えになっているのか・・・心というのは上手くバランスが取れるようになっているのかもしれませんね。ないものを補填するため、それに相応しいものを探し、あてがい、平穏を得る。
 
 
あまりに「家に帰る」と騒ぎ暴れるので、色々なリスクや大変なことはあるだろうけど、外労(ヘルパー)を申請して、残りの人生は彼女が望む通りに実家で暮らせるようにしよう、と思っていたのですが、それは一旦棚上げ。
 

これがいつまで続く事やら。

2016/07/19

うーむ

10日ほど台湾を不在にしておりました。

義母の入院→退院からの諸々で、一人では心が折れんばかりのプレッシャーだったのではないかと思いますが、さすがオット氏、頑張ってくれていました。

義母は予定通りに退院となり、その後は24Hヘルパーさんに付き添いをお願いしながらの、義父のいる老人ホームでの静養がスタート。

お金っていうのはこういう大変な時に使うものですね。老人ホームへの入所金に加えて、専属のヘルパーさんをお願いすることで、出費としては結構なものですが、それでもオット氏の負担を大幅に軽減してくれたものと思います。

老人ホームの代金が月3万~3.5万元。ヘルパーさんは、入院時は2200元/日、老人ホームに移ってからは2400元/日。興味のある方は計算してみてくださいww

ヘルパーさんが義母に付き添ってくれた期間は計15日間。今週の日曜から、付き添いなしで引き続き老人ホームです。

週三日のリハビリの他に、オット氏がホームから近い病院へもリハビリに連れて行くそうです。リハビリは始まったばかり。でも、当初私が想像したよりも回復は早いように思います。

しかし、うーむ・・・。

入院中から、老人ホームに入っての数日間は、カテーテルっていうんでしょうか、尿道に管を入れていたんですね。そしたら、尿の仕方を忘れてしまったようで!外しても尿ができない!!

尿意がわかないのか、トイレに座っても出ない、出せない、でも時間が経つと(溜まっているので)おなかが痛い!という状況に。

なので、一旦は外したカテーテルを戻すことに。

ヘルパーさんが付き添っていたこともあり、甘えや依頼心なんかも膨らんだのかもしれません。

その後、再度カテーテルを外し、再度トイレトレーニング。

その間に、今後、外労(東南アジアのヘルパーさん)を雇う事も見越して、病院に巴氏量表(日本語ではバーセル指数というらしい)を出してもらい、術後まもなくカテーテルもしていたことから、外労を申請するには十分な低い数値がでたのですが・・・・

そう、外労を申請できます、今なら。

でも、申請したとして、どこで暮らすか。

私たちのマンション?私たちのマンションの近くに小さい部屋を借りる?六亀をリフォームして暮らす?

なんだかどれもピンときません。

とにかく親孝行なオット氏は、外労を申請して、狭いながらも私たちのマンションで暮らして、認知症がもっと進んだらまた老人ホームに戻るのではどうか、と思っているそうですが。

うーむ・・・

でも、ヘルパーさんが離れて、一人でのホーム入居となった義母さん、夜から深夜にかけて3-4度、深夜から明け方にかけても3-4度と、とにかく頻繁にトイレに起きます。不眠を疑うほどに。

こんな状況で同居となったら、私たちの生活が崩壊するような気がしますよねぇ。

台湾の老人ホームというのは、日本が個室型なのとは違って、介護する側にとって合理的なように(かどうかはわからないけれど)半オープンな部屋になっていて、今のホームは、完全個室ではありません。

一人部屋、三人部屋、五人部屋、六人部屋とあり、大部屋の入り口には扉がありますが、扉は常に開けられていて、個室はカーテン一枚での仕切り。

だから、物音や声が響くんですね。

義母は就寝時に明かりがあるのを嫌うので、一人部屋にしましたが、トイレは外。何度もトイレに行くので、隣の住人からクレームが・・・トホホ。

これまで専属のヘルパーが付いていたのが、急に一人にされたのと、3分前のことを覚えていられない事もあり、昨日は、オット氏が早朝、義姉が日中見舞いに行きましたが、夜に覚えているはずもなく。

私と娘ちゃんが夜7時過ぎに着くと、がっくりと肩を落とし泣きそうな顔でぽつんと座っていました。

そして、看護師さんには 「息子に捨てられた」 と何度となく訴えていたようで・・・・

そういえば、義父が倒れてからもそうでした。夕方から就寝するまで、鬱々となる傾向が強いようです。

さて、これからどうなるのやら。

祖父母というのは、孫を見ると不思議なほどに喜びますね。娘ちゃんのおかげで鬱々とした気分が晴れたのか、孫(娘ちゃん)に付き添われてリハビリに励む義母。

ほんとに、これからどうなるのかしら。

2015/07/07

ひさびさ介護

先週末はオット氏の会社の社員旅行(2泊3日)に行っていたのですが、
2日目の午後、先週の土曜日ですね、老人ホームから電話がありました。
義父、発熱。
今年はだいぶ容態が安定していたのですが、なぜまたどうして、こんな時に。
この時私たちは、台北近辺にいたのでした。家族揃って。タイミングがー・・・
夕方から深夜にかけて、1-2時間間隔で電話が鳴り、どうもインフルの疑い有り、と。
(同室のおじいさんが前日救急に行きインフル確定)
38.5度。早く帰ってきて、救急に連れて行ってください!!
他に頼れる家族がいないので、私たちがどうにかするしかありません。
ここの老人ホームでは、普通の発熱(風邪)などの場合、近くの診療所へ
連れて行ってくれる等の対応をしてくれますが、インフルは別問題。
台湾(高雄だけ?)では大病院でしかインフル確定ができないのだそうな。
なので、インフルかもと思ったら、老いも若きも大病院に行かなくてはならない。
翌日早朝、オット氏は一人社員旅行を切り上げて高雄へ。
(私と娘ちゃんは社員じゃないのに引き続き旅行に参加www)
予想の通り、インフルエンザでした(A型)。
しかしながら、私たち、病気を軽く見すぎていました。
老人がインフルに掛かるって、かなり危険なことなんですよね。
病院に運んだ時点で昏睡状態・・・、これは大変危険です!と言われ、オット氏は色んな書類に
サインをさせられたんだそうです。(xx同意書とか)
そんなことも知らずに、社員じゃないのに暢気に社員旅行に参加し続けてた私たち・・・(;´Д`)ノ
んー。ま、それはおいといて。
勿論即入院。検査、治療を経て、夜6時を過ぎてもまだ意識のハッキリしない義父。
治療が功を奏したのか、夜8時を過ぎたころに意識が戻り、話が出来るまでになりました。
入院先は隔離病棟。二人一部屋で、もう一人90過ぎのおじいさんが、同じく病状でご入院中。
オット氏は夜遅くまで付き添い、翌日月曜日。
台湾では入院中のあれこれ(患者の世話)を、家族がまるっきり付き添いでするか、
でなければ「看護(カンフー)」といわれる、介護専門の人を雇います。
お見舞いの時間は一日2回、1時間半ずつ設定されていますが、患者の世話役の
家族(または「看護」)は、ほぼ泊り込みで世話をしなくちゃなりません。

隔離病棟なのに、世話役がずっと付き添って世話をしなくちゃいけないって、
なんか矛盾してますよね。
で、入院2日目。まだ「看護」の手配ができていなかったので、嫁の登場。
ワタクシ、仕事を休んで久々にお世話してきました。偉い!!(≧∇≦)b
義父は昨日危うかったというのが微塵も感じられないほど元気になっており、
酸素マスクは勝手に外すし、ベットから下りるといっては暴れ、片時も休まらず。
隣のおじいさんは、睡眠薬でも入れられてるんじゃないかと思うほどに、
ぐーぐーと大きな寝息をたてながら、ほとんどの間眠っていましたが、
一方どうした、義父。なんでこんなに元気なんだ・・・。
人生で初めて、N95のマスクを着用しました。
N95があまりにきつくて顔がゆがみ髪がぼーぼーになるのもお構いなしで、
嫁は頑張ってきましたよ(≧∇≦)b
インフルのせいか、薬に入っている軟便剤のせいか、義父、すこぶる快腸。
4度か、5度か・・・ えぇ、おむつも交換しましたさ。すごいね、嫁!(≧∇≦)b
夕方オット氏が来て交代してくれるまでの間、長かったような短かったような。
それでも義父はちゃんと私の頑張りをわかっていましたさ。
夕方に検査が一つ入っていて、私は検査室の外で待っていたのですが、
検査を受けている間に何度も、「嫁はどこだ?」と探していた、と。
そして「うちの嫁は本当にいい嫁だ!」とお医者さんに嫁自慢をしていたという(笑)
もう退院していいんじゃないかぁ?(今週末には退院できる予定)
83歳、中風で倒れてから3年半。とりあえず一安心。オット氏も嫁も、お疲れさま。

2015/02/20

旧正月と介護

私の中では恒例になりました、旧正月と介護シリーズ。去年の様子はこちら

今年の旧正月は格別に「旧正月っぽさ」が薄い旧正月でした。実際にはまだ終わっていないけれど、気持ち的にはもう終了。

義父が倒れて満3年。今年も実家に連れて帰りました。

旧暦大晦日に義父を連れてお墓参りをしながら実家に向かう、というのは去年に同じ。

去年と違ったのは、義父が100%「鼻から管」となり、口からはものを食べられなくなったということ。

去年の旧正月で鼻から管の必要性を病院で告げられた後、数ヶ月の間「口から食べる」を試し、症状の改善を願っていた私たちでしたが、その度に誤嚥と肺炎を繰り返し、去年の春か、それとも夏頃だったかな、100%鼻の管から、となったんでした。

もうすっかり管には慣れ、勝手に抜いたりはしません。何かを(口で)食べたいとも言わなくなりました。

口から食べられなくなっても、義父には待ちに待った旧正月、待ちに待った帰宅。

連れて帰ることができて、良かった、と思う。

しかし、たった1日でしたが、大変でした。

心の準備はできていたけれど。

まず、老人ホームからもらったスケジュールはこちら。

栄養ミルクと水分が、2時間置きで24H続きます。機械的なほどに。介護側は眠れない。

夜は寝るのに、その最中にもミルクと水が必要だなんて!!

オット氏実家で迎えた旧正月。その晩オット氏は、こちらも毎年恒例で友人に会いに出かけて行きましたよね。義母は義父と離婚していて(しかも憎くて離婚)世話なんてとんでもなく、義兄は今年も仕事でこられず、義姉も戻ってこず、義兄の奥さんは義父の顔を見るのも御免なほどの亀裂持ちで、夜勤はもちろんワタクシでございます。

リアル寝ずの番。

私なりにかなり踏ん張って頑張ったんですが、とうとう夜の3時すぎに深いところまで落ちてしまい、娘ちゃんがアラームに気付いて起こしてくれたものの、30分の遅れを作ってしまいました。

が、朝5時までなんとか勤め上げ、6時にオット氏と交代。

老人ホームで働いている人やお医者さんや看護婦さんや、いやいや、交代勤務などをしている人はすごいですね。私はなまっちょろいので、一晩でもうぐったりです。

これを日課でしている人、自宅介護をしている人、本当にすごいと思います。だけど、共倒れするだろうなぁ。(私だったら)

最近、スペイン語教室で知り合った学生さんとLineを交換したら、数日置きに、スペイン語での質問が届くようになりました。困るけど、勉強せざるを得ない状況って、悪くないかもしれません。何時も、気分転換は必要なのだ。

「旧正月おめでとう」はスペイン語で「Feliz Año Nuevo Chino」

(スペイン語にはたぶん全然関係ないけど)スペイン語教室で見せてもらったジンバブエの100兆紙幣の写真を眺めながら、今年の金運UPを夢見つつ残りの数日を過ごすことにします。

恭喜發財!!

2014/08/14

介護問題シンコクカ?

帰省中の楽しい思い出から現実へ戻りましょう。

義母が鬱っぽくなったのは2年前だろうか。違和感は結構前から感じていたけれど、あくまで違和感であって、決定的なものではなかったんです。


普段、田舎の隣家もない畑の中にポツンと建った家に一人暮らし(+野良犬2匹)、鬱も手伝ってか、遠出するのを嫌がり、家に篭ることが多くなった。それでも、私たちが行けば、話もするし、よく食べたんです。

それは、先々週の週末の出来事。

実家に行くと冷蔵庫の調子が悪いようで、温度の下がりが不十分。開けると異臭が。実家に住み着いた犬たちにあげようと外から持ち帰った肉や骨が腐ってしまっていた。

でも義母、異臭には気づかず。

冷蔵庫の中の異臭物は私たちの手によって始末されました。でも、冷蔵庫の温度調節が効かないのは今に始まったことではないので、思い切って買い換えをすることに。

オット氏が義母を連れて電気屋へ。選び、前金も払い、配送日も決め、帰路・・・唐突に「その日は都合が悪い」とごねはじめる。友達と約束があるのよ、と。友達って誰?と聞くと、答えない。答えたくないのか、答えられないのか。

家に帰り、夕食。ご機嫌に、美味しい美味しいとごはんをおかわり。作りすぎたおかずの残りは冷凍して、翌日の朝食にすることに。

夜になって、今日買った冷蔵庫の話になると、前金をいくら払って、残りいくらかがわからない様子。

これくらいはね、よくあるっていうか、大したことないでしょう。私たちもそれほど気にはとめていませんでした。

その日一番遅く寝たのは私。1時過ぎのこと。

翌朝、一番早く起きたのは義母。私が2番目。

義母が料理一切を拒否し、台所に立たなくなったのはいつのことだろう。3年くらい前になるのか、それとももっと前か。

とにかく、朝ごはんの支度も私の仕事で、さて昨日の残りを出そうと冷凍庫を開けると、あるはずの昨夜のおかずの残りがない。冷蔵庫にもない。どこを見てもない。

義母に、朝ごはん食べました?と聞くと、まだだと言う。

冷凍庫に入れておいたおかずがなくなっちゃったんですよ、知りませんか?と聞くと、知らない、と言う。そのおかずはお肉だったんだけれど、私肉が嫌いだから私が食べるはずないわ、と。

狐につままれたような。

おかずが勝手に消えることなどあるまいに(‐公‐)

すると、犬にあげたかもしれない、と言う。凍ってるのを犬に?レンジで解凍したのよ、たぶん。と言う。

言葉の中に、「大概」や「好像」といった不確定な語彙が目立つ。たぶん、きっと、と言う意味の言葉。

自分のしたことでありながら確信が持てない様子。

オット氏が起きてきた。朝ごはん食べた?と聞くと、こちらもまだだと言う。

義母に再び聞くと、嘘なんか付いてないのに嘘つき呼ばわりするなんてひどい!とそっぽをむかれてしまった。

来月から大学生になる台北の孫。どこの学校に行くのか前の晩に教えて、義母は自分でメモもとったけど、思い出せない。

昨晩美味しいってたくさん夕ご飯食べてくれたけど、何を食べたか覚えてます?――思い出せない。

質問を繰り返す私たち。しかし、思い出せないものは思い出せない様子。それが彼女の自尊心を傷つけてしまったようで、質問をすればするほど気分を害し怒り出す。

別のもので朝ごはんとし、その後、念のため義母に見つからないようにゴミ箱を検分。

すると、冷凍庫に入れていた、義母が犬にあげたといっていたそれらが、ゴミ箱から出てきたのであった。

他にゴミ箱に入っていたのは、冷凍庫に入っていたワンタンやエビ。それと昨晩娘ちゃんと一緒に買い物に行って買って帰ってきたばかりの未開封のアイスキャンディー5本。

これ捨てるか?というものばかり。

・・・・・(‐公‐)なんか、まずい気がする。

これはやっぱり、あれか?

義母には捨てたという記憶がない。

やっぱり、あれなのか?

身体は至って健康。どこにも悪いところも痛いところもなく、一般の会話からは全く不自然さは感じられず。受け答えは、しっかりハッキリしたもの。でも今回の状況は素人目に見てもまずいと思いますよね。

大病院では反発するだろうと、鬱と記憶力を見てもらおうという理由で、近くの身心科(精神科)へ行きました。騙しだましで、連れて行くことができました。

日にちが言えませんでした。彼女の中では、今は2012年の7月で、木曜日で、季節は秋だそうです。(実際は2014/8/09 土) 言えないことがいくつもあって、問診中にパニック→怒り出してしまいました。

お医者さんからは、中度の認知症と言われました。

2年前、軽い鬱と思っていたけれど、実はあれが認知症の始まりだったのか・・・

薬をもらっては来たけれど、果たして毎日忘れずに飲むことができるのか....(翌日、薬を見て、これ誰の?って言っていたので、かなり危うい)

義父は老人ホームに入って2年半。相変わらず、鼻からのチューブで栄養補給。一進一退。

でも、義母はまだ元気だから、老人ホームや施設みたいなところは嫌がると思うんですよね。っていうか、本人は病気と思っていないし、そもそも。外国のヘルパーさんを雇うにも、今の病状じゃ申請できないし(深刻ではないので申請条件に当たらない)、かといって、うちで同居するわけにもいかず・・・・・・・う~ん、微妙にシンコクかもしれないー!

とりあえず私たちにできるのは・・・薬をちゃんと飲んでいるかの確認と、通院のつきそいと・・・時間があれば実家に行って様子を見ること、くらいかなぁ。いやー・・・そうも言っていられない日がすぐに迫ってくるかもなぁ・・・・

人生イロイロっすね!

さて、日本の実家で使い始めたのに影響されて、うちでも椰子油を使い始めたんでした。認知症予防にいいらいい!でも、香りが家族にとても不評〜*(^o^)*