いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2012/07/24

戻ってきた日常

最近やっと休暇の気分も抜けて、日々淡々とニチジョウやってます。

帰省中に、面白いお芝居を見に行ったことや、美術館探検、
ベニーランドでたっぷり遊んだこと、おいしいとんかつを食べたこと、
本当はたくさん書きたいことがあったのですが、タイミングがぁ~・・・(o´Д`)=з

楽しかったことが次々とニチジョウに上書きされている感じです。

週末は、掃除・洗濯・老人ホーム・実家参り・日本語の会でボランティア・・・・

全く変わり映えのない、でも、ぎゅーぎゅーにやることの詰まった週末でした。

それにしても、台湾って深い・・・・

何年住んでも知らないことがたくさんありますΣ(・∀;ノ)ノ

日本語の会で、ひょんなことからお墓の話しになったんですね。

参加者の一人、70代の方、最近お母さんのお墓を掘り起こして遺骨を処理したんですよ、と。

えええ?今なんと!??( ゚Д゚;)

よくよく心を落ち着けて聞くと、彼のお母さんは土葬で、土葬10年を経て掘り起こし、
その骨を座っているような形に組み立てながら新しい骨壷のようなものに入れて、
お墓に入れなおすという作業をしたんだそうです。

専門の業者がいるんだそうですが、聞くだけで身の毛がよだつ・・・(((((( ;゚Д゚)))))

ちゃんと座っている姿勢になるように、背骨のところには赤い紐で~・・・ とか

組み立てたら最後に頭蓋骨を一番上に乗せて、カツラものせて髪を結ったとか・・・

そうしたら、周りの人も、「うちもやったわ、そうそう」なんて、土葬談義で
20分も話が続いてしまったという・・・(;ω; )

台湾ではまだ一部、土葬での埋葬がされるのでした。

まぁそんな感じで、私は今日も元気です。

写真は実家の近くで見かけた わいるど な人 (´∀`)

街中で見かけたらすごくビックリするところですが、田舎だとあたりまえの風景に
なってしまうからフシギ!

2012/07/22

そして

女川・石巻の旅、最後に立ち寄ったのはここ。

ニュースではその名を何度も聞いていましたが、まさか、釣石神社からそう遠くない
所にあったなんて、思っても見ませんでした。


大川小学校です。

すぐ目の前に北上川が流れ、学校の裏手には山があり、自然溢れる
とてもいい学校だったのではないかと、思えました。

学校の敷地は広く、学校周辺の、元は民家が立ち並んでいただろうところは
すっかり更地となり、昔の姿を知らない私には、学校を含めた一帯の土地が
あまりに広く感じられ、元の姿を想像することも難しいほどでした。














ここに来て、見て、感じること、思うこと、人それぞれだと思います。
が、TVの画面からは伝わってこないものを、ここに来て感じた気がします。

今もなお、手を合わせに来る方が、多くいるようです。

回り続ける風車、線香の煙、たくさんの人の思い。

災害はいつまたどのような形で起こるかわかりませんが、
同じような悲しいことが二度と起こりませんように。。。

2012/07/21

釣石神社にも行きました

女川の次に、私がかねてから行ってみたかった釣石神社に連れて行ってもらいました。

なぜここに行ってみたかったかというと、とあるTV番組で取り上げられているのを見て
是非この目で見てみたい!!と思ったから。(結構単純な理由Σ(ノ∀`*)

さて、河北ICから上品の郷という道の駅を経由し、北上川に沿って太平洋の方に向かうと、
向かって左側に神社はありました。(道の駅で尋ねるとマップをもらえる)

北上川は川幅がとても広く雄大で(そもそも川に雄大という言葉を使うのが適しているのか不明だが)
岩手県にその源を発し、下流の、まもなく海へと流れ込むこの辺りは、眺めが最高!

ヨ、一級河川!
また、シジミ漁が盛んだということで、川面にシジミ漁の船を見かけました。
ここのシジミはとても美味しいと言う話で、母が 「どこかでシジミ買えないかしらね~」
と、シジミ購買欲に駆られていましたが、この辺のシジミは地元では売っていないという話。

私は、一眼レフと三脚と時間がたっぷりあったら、久々に写真漬けタイムを取りたかったわ、
なんて思い、家族其々の思いはてんでバラバラ(笑)

神社に行った話が、蛇行しました。そう、釣石神社。

この辺かな~と思いながらも、入り口がよくわからず、結局ぐる~っと遠回りし、
自転車のタイヤの調子が悪いからと砂利道で自転車を押して歩いているおじいさんに
道を尋ねながら到着です。


おおお!ここだ!ヾ(*´∀`*)ノ到着!

上にあるのが男岩、下にあるのが女岩。昔は子宝の神社だったらしいんですね。

それが、S53年の宮城県沖地震に耐え、落ちない=合格祈願の神社として
たくさんの人が参拝するようになったということ。

今回の東日本大震災でも落ちなかったわけですから、その落ちない力は
かなりのパワーがあるものと思われます。


 比べるとその大きさがわかるかな?かなり大きいです!


神社へと続く階段の途中に、津波がここまできました、という印がついていました。
(右下に写っている白い立て札)

津波はこの岩までは来なかった・・・・それでも、下にある家々に被害を与えるには
十分すぎるほどの高さでした。

階段は結構急です。


階段の上が神社になっていますが、お社はそれほど大きくありません。


お社の辺りからは北上川が見えます。。。

参拝を終えゆっくり下りていくと、先に下りていた母が後から参拝に来た知らないおじさんと、
話し込んでいました。

全然関係ないですが、どこに行っても誰とでもすぐに打ち解けて、長話ができる母は
ある意味特異な能力を持っているな、と。母はすごい(ノ´∀`)ノ

この辺は、大きなお屋敷が多かったんだよ、なんてことを話していたように記憶。

でも、見渡す限り、荒地のようになっていたので、きっとここの被害も大きかったのでしょう。



たくさんの悲しいことが押し寄せてきますが、釣石神社の落ちないパワーが
この地を再び釣り上げて、地域の人たちが豊かな暮らしを取り戻せますように、
そう願わずにはいられませんでした。


あ、そうそう。
石巻市内にも立ち寄ったんでした。

石森漫画館はまだCloseしてました。


来年の今頃は、もっと復興が進んでいる、きっと。

2012/07/20

女川に行きました(長い)

さて、台湾に戻ってきてもう数日が立ちますが、もう少し余韻に浸りたいので、
帰省中のアレコレを書き留めておきたいと思います。

まずは、7月8日(日)、姉さんの運転で女川石巻方面に行ってきたのでした。
(ありがとう、姉さん!)

それはもうとても濃い一日で、消化不良ぎみになったりもしたわけですが、
この日は思いがけずの被災地巡りの旅に。

こんな光景を通り過ぎながら、女川に向かいます。




港に面した女川、女川漁港のすぐそばにマリンパル女川という施設があり、
おさかな市場もあって、以前は新鮮な魚介類が買えるところとして知られていたんですね。

おさかな市場は母のリクエストでした。


で、私は予備知識なく連れて行ってもらったのですが、マリンパル女川は移転していました。
現在のおさかな市場は、元の女川の町(中心地)からちょっと離れたところにありました。


規模は以前に比べたらだいぶ小さいものになったんじゃないかという私個人の推測ですが、
それでもお店の方たちは元気に明るく働いてらっしゃいました。(皆さんとても親切!)





に~(ノ´∀`)ノ 
中くらいので一つ300円。ここから宅急便で発送してもらうこともできるそうです。

新しいマリンパルの道向かいは海。何かの養殖が再開しているようでした。

さて、女川の町はこの新しいマリンパルからそう遠くないので、町の中にも行ってみることに。。。

が・・・

1年と数ヶ月が過ぎ、瓦礫は撤去されていたのはもちろんのことですが、
すっかり以前の姿がわからないほどに何もなくなっていました。

ここは警察署だったのでしょうか。壁にある金色のマーク、きっとそうですよね。

こちらの建物も、一体どれくらいの力でなぎ倒されたのか分かりませんが、
想像を絶するものだったのでしょう。
(大きな画面で見るとわかると思いますが、建物の左下に人が立っています。大きな建物・・・)

この建物の向かいには、銀行があったようです。

12名の方が犠牲になったと・・・

一帯はほぼ更地になっていましたが、港のすぐ側には空を飛べるうみねこだけはたくさんいました。


人も飛べたらよかったのにー・・・

高台に建物があり、女川出身の俳優さんの名前入り横断幕が。


何を見ても、心が痛みました。

この港にあったであろうマリンパルは、どこにあったのかも分からず、
影も形もない、なんていう言葉は不謹慎かもしれないけれど、
でも本当に全く分からなくなっていました。

ところで、女川にはコバルトラインという牡鹿半島に続く道があるのですが、
そちらに寄り道です。道は工事中の箇所があり、通行止めになっているところもありました。

高台から見渡す女川湾は、とても穏やか・・・


右の端、矢印のある辺り、霞がかかってよく見えませんが、金華山。
そして、中央右よりに女川原発。


復興祈願・・・来年の今頃、どのように変わっているのでしょうか。