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台湾生活を写真で記録

2013/10/28

年長者さん達の思い出話

10月も末ですね。

不定期で日本語読書会なるものにボランティアにいっているということはずいぶん前に書いたことがあったかと思います。

小さな集まりですが、ほとんどが年長者。半数以上が80歳前後の方。私の祖父母より若くて父母よりも年上。

日本統治時代にガッチリと日本教育を受けた人たち。

先週末は88歳のおじいさんに「先生のボランティア精神は素晴らしいですね、感心していますよ」
とお褒めの言葉を頂いちゃいました。あは。

読書会とはいえ、半分は雑談会みたいなもので、いろんなことを話します。
健康のこと、教育のこと、昔のこと、中国のこと、台湾のこと、日本のこと、お金のこと。

自分のことを「わたくし」と仰る方もいて、今でもきれいな日本語を話されます。

秋の夜長ということで、そんな年長者さんの思い出話から、印象深い話をつらつらと書いてみます。

昔(小さい頃)はよく戦争ごっこをして遊んだのだそう。

で、バーンと撃たれると「天皇陛下万歳!」といって、倒れるんだそうです。

なんだ軽いショックを受けました。何がどうショックとは上手く言葉にできないんですが。

初等教育位まで日本教育を受けた経験のある人たちは、そうやって幼少期を過ごしたらしい。

台湾人が、ですよ。

君が代が聞こえてくると、もう条件反射で「起立、気をつけ」の姿勢になる、と。

毎日の朝礼では天皇のいらっしゃる場所(たぶん皇居?)に向かっての敬礼が必ずあった。

などなど。

日本人の私よりも日本を刷り込まれ、体にしっかりそれが根付いているわけです。今尚。

ある人は「乃木大将」への思い入れが強く、旅順へ入ろうと思ったがダメだった、と。

現代の若者、一体どのくらいの日本人が乃木大将を知っているのか。

乃木大将の日露戦争での戦術がどういったものだったか、また、戦争で自身の子供2人を亡くしたこと、日本に凱旋帰国をした際、顔を伏せたままだったのはなぜか、明治天皇崩御のすぐ後に、奥さんと2人で切腹したこと・・・ など等、熱く語ってくれます。

その知識の厚みに、呆然と聞き入ることしかできない自分。返す言葉も見つからない情けない私。

またある人は、中学三年生の時に戦争のため日本へ。
軍事工場で主計をしていましたが、16歳の時に日本で終戦を迎えます。

終戦直後アメリカが来るからと主計の上の人(日本人)から金庫の鍵を渡され、中の金を持ってすぐに宿舎に帰れ!といわれた、と。

その金庫には現在では想像もつかないほどのお金が入っていました。

その金を持って逃げることもできた。けれど、金を手にしたときに声が聞こえたというんですね。

「この金はあなたのものではない。」

「あなたは何の徳を積んだのか?(この金を手に入れられるほどの徳を積んだのか?)」と。

嘘みたいな話ですが、おじいさんは、これまで何度も何度もこの話を私に聞かせてくれます。

そして、その金には一銭も手をつけなかった、と。

彼は戦後台湾に戻って鉄道会社に入り、その傍ら家族を養うために日夜問わず働き通しました

そして、後に事業に成功し、85の今、周りの人から羨ましがられるほどの大きな富を得ています。

こういう感じるのは本当に失礼で恥ずべきことなのかもしれないけれど、何かのフィクションか、作り話みたいな、現実にそういうことがあったとは思い難いのは、私の勉強不足か、育った環境か、時代のせいか・・・

それにしても、みなさん逞しい。とても逞しいのです。

戦争のことも昔のことも何も知らず関心も持たずに育った無知な私、まさか台湾でこうしていろいろ考えさせられる日が来るとは思ってもみませんでした。

こうして出会ったのも何かの縁。大切にしていきたいなと思っているのでした。

ここ高雄もすっかり日が短くなりました。

夕方5時半頃にはもう暗く、今年ももう残り少ないなぁと感慨ひとしお。


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