いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2015/07/07

ひさびさ介護

先週末はオット氏の会社の社員旅行(2泊3日)に行っていたのですが、
2日目の午後、先週の土曜日ですね、老人ホームから電話がありました。
義父、発熱。
今年はだいぶ容態が安定していたのですが、なぜまたどうして、こんな時に。
この時私たちは、台北近辺にいたのでした。家族揃って。タイミングがー・・・
夕方から深夜にかけて、1-2時間間隔で電話が鳴り、どうもインフルの疑い有り、と。
(同室のおじいさんが前日救急に行きインフル確定)
38.5度。早く帰ってきて、救急に連れて行ってください!!
他に頼れる家族がいないので、私たちがどうにかするしかありません。
ここの老人ホームでは、普通の発熱(風邪)などの場合、近くの診療所へ
連れて行ってくれる等の対応をしてくれますが、インフルは別問題。
台湾(高雄だけ?)では大病院でしかインフル確定ができないのだそうな。
なので、インフルかもと思ったら、老いも若きも大病院に行かなくてはならない。
翌日早朝、オット氏は一人社員旅行を切り上げて高雄へ。
(私と娘ちゃんは社員じゃないのに引き続き旅行に参加www)
予想の通り、インフルエンザでした(A型)。
しかしながら、私たち、病気を軽く見すぎていました。
老人がインフルに掛かるって、かなり危険なことなんですよね。
病院に運んだ時点で昏睡状態・・・、これは大変危険です!と言われ、オット氏は色んな書類に
サインをさせられたんだそうです。(xx同意書とか)
そんなことも知らずに、社員じゃないのに暢気に社員旅行に参加し続けてた私たち・・・(;´Д`)ノ
んー。ま、それはおいといて。
勿論即入院。検査、治療を経て、夜6時を過ぎてもまだ意識のハッキリしない義父。
治療が功を奏したのか、夜8時を過ぎたころに意識が戻り、話が出来るまでになりました。
入院先は隔離病棟。二人一部屋で、もう一人90過ぎのおじいさんが、同じく病状でご入院中。
オット氏は夜遅くまで付き添い、翌日月曜日。
台湾では入院中のあれこれ(患者の世話)を、家族がまるっきり付き添いでするか、
でなければ「看護(カンフー)」といわれる、介護専門の人を雇います。
お見舞いの時間は一日2回、1時間半ずつ設定されていますが、患者の世話役の
家族(または「看護」)は、ほぼ泊り込みで世話をしなくちゃなりません。

隔離病棟なのに、世話役がずっと付き添って世話をしなくちゃいけないって、
なんか矛盾してますよね。
で、入院2日目。まだ「看護」の手配ができていなかったので、嫁の登場。
ワタクシ、仕事を休んで久々にお世話してきました。偉い!!(≧∇≦)b
義父は昨日危うかったというのが微塵も感じられないほど元気になっており、
酸素マスクは勝手に外すし、ベットから下りるといっては暴れ、片時も休まらず。
隣のおじいさんは、睡眠薬でも入れられてるんじゃないかと思うほどに、
ぐーぐーと大きな寝息をたてながら、ほとんどの間眠っていましたが、
一方どうした、義父。なんでこんなに元気なんだ・・・。
人生で初めて、N95のマスクを着用しました。
N95があまりにきつくて顔がゆがみ髪がぼーぼーになるのもお構いなしで、
嫁は頑張ってきましたよ(≧∇≦)b
インフルのせいか、薬に入っている軟便剤のせいか、義父、すこぶる快腸。
4度か、5度か・・・ えぇ、おむつも交換しましたさ。すごいね、嫁!(≧∇≦)b
夕方オット氏が来て交代してくれるまでの間、長かったような短かったような。
それでも義父はちゃんと私の頑張りをわかっていましたさ。
夕方に検査が一つ入っていて、私は検査室の外で待っていたのですが、
検査を受けている間に何度も、「嫁はどこだ?」と探していた、と。
そして「うちの嫁は本当にいい嫁だ!」とお医者さんに嫁自慢をしていたという(笑)
もう退院していいんじゃないかぁ?(今週末には退院できる予定)
83歳、中風で倒れてから3年半。とりあえず一安心。オット氏も嫁も、お疲れさま。

2 件のコメント:

mikaty さんのコメント...

救急搬送が家族の責任っていうのは、厳しい
制度だね。施設の方たちこそ、自分たちで
できればやりたいという気持ちだろうし、
家族も「後から駆けつけますからお願いします!」
と言いたい場面なだけに、辛いよね。。。
私も日本で介護してみてわかったけど、
制度が想定する家族像と各家庭の実情は食い違って
いて、そのギャップが無理を強いるという(*´Д`)
ところで病院でおむつの交換は家族の仕事なんだ。。。
よく頑張りました。お義父さんも含めて、みんな!!

takaokao さんのコメント...

命の危険があるときに応急処置をするか否か、
とか、そういう決断は家族にしかできないからだと
思うんだけれど、重い病気の時には、やっぱり
家族がいくしかないんだよねぇ。

こうやって出動する度に、身寄りのない人はどうする?
とか、自分の老後とか、色々考えますわ。

医療の進歩と老人ケアや介護方面の充実で、
鼻から管の生活になって1年半(つまり、口から
ものを食べなくなって1年半)だけれど、
まだまだ頭はハッキリして話もできるんだから、
すごいものだよね。

義父を通して、色々考えさせられ、またたくさんの
経験値を積ませてもらってます!