いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2016/08/03

カイゴモンダイ

好きなことだけして暮らしたい!!と思って、書き始めたこのブログですが、最近はもうすっかりカイゴモンダイに侵食されております。
 
 
義父:中風から4年半。ほぼ寝たきり。鼻からチューブの栄養補給をするようになって2年半。頭はハッキリ。左半身不随。老人ホームで生活中。
義母:認知症の症状が出てきてから2年。7月初めに自宅浴室で転倒、股関節を手術。老人ホームで療養中。
 
 
義母が老人ホームに移ってからまだたったの3週間、在宅介護にあらず、何の苦労があろうか・・・と思うところですが・・・
 
好きなことだけして暮らせるようになる前に、私らの心が枯れそうな勢い。
 
『介護離職』の四文字の前に『介護うつ』という言葉がチラチラと見えてきたほど。
 
義母の体はすっかり元気になりましたが、記憶力の低下が進み、気分の浮き沈みが激しすぎるのが困りもの。オット氏と交代で日参していますが・・・しんどいとは言ってられません。
 
義母の激しい喜怒哀楽、会った人も話した事もすぐさま忘れていく様子、そして実家に帰りたいコールがあまりにエンドレスで、我慢大会に負ける寸前までいきました。
 
体があまりにも元気なので、術後1ヶ月経っていないのが信じられないほど。歩行補助具を嫌がり、車椅子も使わずに危なっかしく歩き回っています。声もよく出るし、よく食べるので、見た目はふつうに元気な高齢者。
 
義母は疲れ知らずで、私たちを見ると、とにかくエンドレスに「今この瞬間の不安」を話し続けます。
 
 
例えば、こんな風。
 
「ここは知り合いもいないし、孤独で寂しい。毎日泣いてばかりいるわ。早く家に帰りたい」
 
「私たち毎日会いに来てるじゃないですか。それにヘルパーさんはいい人ばかりだし、お話できる同世代の人もいますよ」
 
「ここじゃだめなの。孤独なの、寂しいの。やっぱり家がいい。自分の家がいい。家で暮らしたい」
 
「そうですね、でも今はまだ療養期間中だから、看護士さんがいて病院も近い、ここにいるのが安全で安心なんですよ」
 
「私はどこも痛いところがない、健康なのにどうしてこんな施設にいなくちゃいけないのよ。実家に帰る!!」
 
「お義母さんは手術をしたんですよ。まだ術後1ヶ月も経っていませんし、お医者さんから2ヶ月は安静にするように言わましたよね」
 
「2ヶ月?今あなた2ヶ月って言ったの?ああ最低、ひどい、なんてこと。ここに2ヶ月いるくらいなら死んだ方がましよ」
 
「でもまだ静養しなくちゃならないんですよ。どこを手術したか覚えていますか?」
 
「ひざでしょ、ひざ・・・ここら辺に痕が・・・・この辺?とにかくもう痛くないのよ。実家に帰りたいの!!」
 
「ひざじゃないですよ。股関節だから右側の腰かお尻の辺りですよ。触って確かめてみてください」
 
「ちょっと痛いけど、これくらいなんともないわ。だから私は今日もう家に帰れるのよね。」
 
「いや、まだ帰れないんですよ」
 
「なんですって?帰れない?そんなひどい話がある?ああ、もう最悪だわ。じゃ、あとどのくらいここにいなくちゃいけないの?」
 
「2ヶ月ですよ」
 
「2ヶ月?今あなた2ヶ月って言ったの?ひどい、地獄だわ。こんなことってある?耐えられないわ!!」
 
「お義母さん・・・今は静養第一なんですよ」
 
「もう静養したわ。じゃ、あとどのくらいしたら帰れるの?え?2ヶ月?なんてこと!!ひどい!!耐えられない!!」
 
こういうのが私たちがいる間、エンドレスに続きます。
 
 
またあるときは、こんな風。
 
「(かばんの中をごそごそしながら)ねぇ、私の保険証がどこにあるか知らない?どこを探してもないの、見つからないのよ、困ったわ」
 
「看護婦さんに預けてありますよ」
 
「じゃぁ、身分証はどこ?これもないのよ、どこを探してもないの」
 
「身分証は紛失しないように、オット氏が保管しているから、安心して下さいね」
 
「でも保険証がないの。どこを探してもないの。あれがないと不安で仕方ないの」
 
「それは看護婦さんに預けてありますよ」
 
「でも身分証は・・・・」
 
 
怒っても怒らせてもいけない、けんかをしてもいけない、それは分かっていますが、いかんせん私は凡人、菩薩の化身にはなれない。その前にこのエンドレスな会話に苦いものが口の中に広がります。
 
 
機嫌が悪いとへそを曲げてご飯を食べず、今日はちゃんと食べるのかと思うと、食べ終わってすぐに食べたことを忘れて「ごはんまだ?」と催促。
 
自宅介護している人は本当にすごいと思います。私はこれだけでもう折れそうだというのに。
 
 
さて、15年前に離婚した義父母が、奇しくも老人ホームで再会。初めの2週間はホームのスタッフによって、顔をあわせないよう配慮されていました。が、3週間目の昼下がり、ホールにて再会。
 
再会初日、義母、義父を一目見ても誰かわからず。義父の方が頭がハッキリしていて「私はあなたの夫でしたよ」と。
 
それから思い出したのか、義母の恨みつらみ口撃が、ずーーっと2時間近く続いたそう。遠目で見ている分には、話が弾んでるようだわ♪とか思えたらしいんですが、義父にとっては罵倒されっぱなしで辛い時間だったでしょう。
 
それから義父が同じホームにいるということが、分かることもあれば、分からないこともある。義父の事をありとあらゆる思いつく言葉で罵倒する日があれば、存在を思い出しすらしない日もある。そんなのが数日続き、先週末大きな変化が。
 
お昼過ぎに訪ねて見ると、義母は義父のベットの側に座り、義父の顔を撫でています。
 
はて?
 
「今日突然わかったの。私、彼を許したわ。全てを許して、彼を支える!」
 
ほえ?
 
「彼、若い頃はそりゃもうイケメンだったんだから。彼の方から言い寄ってきたのよ。沢山のプレゼントをくれてね。幸せな事だって沢山あったわ」
 
はぁ。
 
「彼ね、私のことを名前で呼ぶのよ。私が側にいると喜んで、感動して涙も流していたわ。」
 
へぇ。
 
「ねぇあなた。私が側にいると嬉しいでしょ?ほらこんなにいい笑顔!もうキスしてあげる!」
 
って、冗談かと思いましたが、何度もほっぺにチューを繰り返していました。なんて情熱的なwww
 
オット氏と並んで、唖然としましたよね。義母79歳、義父84歳です・・・・
 
 
でもそれも、過ぎてしまえばリセットされるのだろう、と思いきや!
 
 
ここ2日は私たちを見ても「家に帰る」とは騒がなくなり、朝に晩にと義父のところへいって「あなた、早く良くなってね。よくなったら一緒に家に帰りましょう」と、話しているそうです。これが、本当の姿か、仮の姿かは不明です。依然として気分にはムラがあり、ひどいときは手をつけられないそうなので。
 
 
でも、昼下がりのロビーで隣り合うように座って、
 
「あなたの心には私がいる?」「私のこと愛してる?」
 
とか、聞いてると鳥肌が立つような言葉を、義母は何度も何度も義父に聞いているそうです。それはそれで困る、とホームのスタッフに苦言を呈されるほど。
 
あんなに嫌って、憎しみがあって分かれたはずなのに、その部分がストンと消えてしまった様子。一時的にであれ、義父の存在が義母の心の支えになっているのか・・・心というのは上手くバランスが取れるようになっているのかもしれませんね。ないものを補填するため、それに相応しいものを探し、あてがい、平穏を得る。
 
 
あまりに「家に帰る」と騒ぎ暴れるので、色々なリスクや大変なことはあるだろうけど、外労(ヘルパー)を申請して、残りの人生は彼女が望む通りに実家で暮らせるようにしよう、と思っていたのですが、それは一旦棚上げ。
 

これがいつまで続く事やら。