いろんな台湾 いろんな風景
台湾生活を写真で記録

2020/04/24

ころな続

台湾のコロナ対策にほころびが。
 
こちらでは先週末、パラオでの演習から戻った海軍兵24人に感染者が出ました(しかも24人中18人は無症状)。更に+3+1+1で29人に。←海軍兵関係者トータル、いまここ
 
この演習には計三隻の艦隊が出ていて、うち一隻に337名が乗船(恐らくこの船に集中)。関連する全ての人数は774名とのこと。
 
台湾を3月5日に出航。3月12日から15日までパラオに停泊。台湾に戻ったのが4月9日で、下船したのが4月15日。パラオを出て台湾で下船するまで一ヶ月。(この間に極秘任務を遂行していたとかで、スケジュールの詳細は明かされず)
 
一体どこで感染したの?潜伏期間は?
 
体調不良者(3人)が出て感染が発覚するのが4月18日。そして検査拡大で計24人の感染がわかったのが19日。そして更に3人、追加で1人+1人の感染で、現在4月23日時点で計29人。(台湾全体としては感染者427名、死亡6名、回復236名)
 
で、海軍兵さん。下船後の4月16日、17日と、みなさん各地を自由に動き回っていたわけです。これが原因で市中でプチパニックを引き起こしています。
 
特にこの船は、高雄左営での下船となったのですが、ここからみなさん各地に散っていったわけですね。久々の上陸、体調も悪くない。友達に会おう、家族に会おう、彼女に会おう。それはわかる。だってみんな20代くらいの血気盛んな若者たち。ふつうのこと。
 
好きで感染したわけじゃないし、そもそも感染している自覚がない。(とはいえ実際には体調不良の人が中にいたわけだが、無症状が多い。)
 
でもね、この影響は大きい。
 
航行中に発熱や体調不良の人が出ていたのに検査なしで解散。国内ではこんなに厳戒態勢が敷かれているのに、空港でも厳しく取り締まっているのに、なんだこの落差は。

各国で船内感染が起きているという事例を見ていて、なぜ乗船前、下船前に、テストを行わなかったのか。責任はどこにあるのかと、ニュースはすごくにぎやか。大変。
 
他国からは比較的感染をコントロールできていると見られていた台湾、人々は学校も会社もジムも習い事も、普通に続けることができていますが、不景気の波が押し寄せています。生活していて感じるレベルで。ホテルもリストラや減給を行い、続々とランチパックや夕食用の弁当や惣菜の店頭販売などを初めています。
 
そんな中の今回の集団感染。彼らが立ち寄った場所は公にされました。こんな風に。多い!

 
同時刻に1キロ以内にいた人には「体調管理するように」なショートメールが送られてきました。なんと、その数20万人という話。多すぎる。。。だって、ポイントがこんなにあるんだものね。。。
 
で、私も受け取りました。オット氏も受け取りました。会社の同僚でも受信者複数。

 
立ち寄ったとされた場所は全て営業停止で消毒作業だそうです。多分補償とかはない。
 
全ては、海軍が、その上の国防部が(更には政府が)下船時の対応を慎重に行っていたら防げたであろうこのパニック。いったい上の人達は何を考えてるのよ?

海軍兵の集団感染が発覚してからは政治的な対立があからさまで、ニュースをみるのも嫌になるほど。ちなみに高雄市長は、市民から集まった罷免署名で市長でいられるかどうか微妙なところでもあり。政治で国民の安全が左右されるって、どういう理屈なんでしょう。でも、ニュースを見てると、どこの国でも多かれ少なかれ、あるのかな。。。

というわけで、海軍兵の集団感染が市中感染を引き起こしたかどうかは、月末を目処にはっきりするでしょうから、引き続き気を引き締めて、気をつけて過ごしたいと思います。

日本のことも心配だけど、台湾国内の混乱、中国との関係、経済、お仕事、心配事がつきなくていやになっちゃうわ。

2020/04/07

ころな

4月になりました。

台湾のコロナ対策に称賛の声が出ているそうですが、私の周りには有事への意識が高い人が多く、国民の意識がそもそも高いのではないか、と思う今日このごろ。

しかし、海外渡航禁止の中、時間とお金のありあまる人々が、先週末の4連休で国内の観光地に集まりすぎて大変でした。あれ?危機感どこいった?

連休明けの昨日、政府から国内11の観光地に行った人は、市中感染のリスクがあるので自己管理をするように、とおふれが出ました。早い!

そして会社につくやいなや、人事担当から「連休中に政府指定の11の観光地に行った人はいますか、いたら上司に申し出るように!」と。

該当する人は、自分で休みを申請して自宅待機または在宅勤務に切り替えるように、という圧。自分と家族と会社と、身の回りの人を守るために自粛はして当たり前!具合が少しでも悪かったら病欠取るべし!という空気がすごいです。

4月3日からは公共交通機関(地下鉄含む)乗車にマスクが必須となりました。違反の罰金が3000元~1万5000元(約1万円~5万円)だそうです。

タクシー乗車では、マスクをつけていないお客さんを乗車拒否できるようにもなったそう。

こちらはとにかく、マスク!マスク!マスク!!!次いで、消毒!消毒!消毒!!!

高雄では、一部の地下鉄駅の改札が完全片側通行になり、サーモグラフィーカメラも設置され、取り締まりがますます厳しくなっています。熱があったら、躊躇なく家で休みましょう。

あと、マスクのポイ捨ては最高6000元の罰金。1万6000円くらい。マスクは一枚5元なので、1200倍の罰金。ひゃ~。

台湾は早くからいろんな対策を行ってますね。と、日本の人からよく言われますが、本当に、えぇ、対策は次から次に出て、規則や罰金も次から次に。

台湾国内はコロナを抑えている、とは言っても、株価が持ちこたえてきてるように見える、とは言っても、蓋を開けてみれば貿易系の会社は多いでしょうから、経済的な大変さの底なし沼はこれからかなぁ。他国は今現在既にもっと大変ですよね。ため息が止まらない。とにかく家のローンが終わっていてよかった。

で、コロナの話に戻って、と。

今日のニュースでは、台湾では通常(平日の)検査数が800-900人なのが、連休明けの昨日は1800人以上となったそうで、コロナ指揮センターは懸念、危惧、憂慮の波にもまれているようです。

現在台湾全土で、指定検査機構は、北部16、中部7、南部10、東部1。この4エリア合わせて一日当たり最大3800件の検査が可能とのこと。

また、本日時点での利用可能病床は2142床(2万1000床まで引き上げ可能)、使用可能呼吸器は1300台(3000台を目標に整備中)。

本日4月7日時点での感染者は、昨日比+3人、計376人。死亡者数は5人。感染源を追えているので、コントロールができている、という印象です。政府頑張っています。ひしひしとその頑張りが伝わります。情報もかなりスピーディーに公開してくれるので、安心感は大きいです。

ソーシャルディタンスを保って過ごしていきましょう。きっとこれくらいの距離をとったら大丈夫。



2020/03/24

雑感

本日3月25日の時点で、台湾は前日比+20人、感染者は計215人となりました。(178人が海外からの帰国者や外国人、37人が国内での感染)死亡は2人、治癒者29人。
 
このところ、毎日二桁増となっています。
 
3/19から外国人の入国を制限しているのと、7/15までは高校生以下の学生と教職員の海外渡航禁止。そして今日から桃園空港でのトランジットが禁止となりました(~4/7まで)。
 
ほぼ鎖国状態に突入です。これから4月にかけての感染者数の増減に注目したいと思います。
 
感染者がどっと増えた先週の金曜日、スーパーからトイレットペーパーや缶詰、即席麺が消えましたが、それも一過性のことで、すぐに補充されました。
 
週末は実家に戻っていましたが、どうやら街中よりも郊外だ!と思う人が多いらしく、週末は郊外に人がばらけます。
 
学校は通常通り、ジムも入り口で体温チェックがありますが、エアロビやヨガのクラスなども、中止にはなっていません。初動対応に力を入れていたことと、感染源の特定や感染者の足取りをかなり透明にしていることもあってか、市民は日常を過ごせています。
 
6月に日本に帰国を予定しているのでフライトを見てみましたが、高雄の空港は事実上封鎖なのか、現状国際線は全てキャンセル。桃園もキャンセルが多いですが、一部動いています。果たして3ヶ月後、どうなってるか?
 
で、多くの人がコロナで神経をすり減らす中、となりの大国の軍の船やら飛行機やらが、怪しい動きをしているらしいのです。まさかのブリョクトウイツなるものが迫ってきているのだろうか?
 
コロナも心配なんですけどね、そっちの方も結構心配してたりなんかしちゃってます。
 
でもこんな話題、誰とも話せないので。来る将来何がどんなふうになるか、環境も、暮らしも、全てにおいて、何が起こっても柔軟に対応できるように、日々ストレッチを欠かさずに過ごしたいと思います。

なにはともあれ、今日を健やかに過ごせることに感謝しよう。

2020/03/17

雑感

旧正月から徐々に大問題になってきた新型肺炎とか、選挙のこととか、ジュケンのこととか、書き記しておかなくては、と思うことが多々あったのですが、時に流されて気づけば3月半ば。

外から見ると台湾の対策が好評なようですが、中から見た雑感を書き残しておこうかな。

遡ること1月。受験のためのテストが中旬にあって、その数日後に日本に行っていました。

1月下旬頃には、中国で新型肺炎が流行りはじめてやばいらしい、という話題が台湾のネットでもだいぶ多く見られ、特に娘氏くらいの、学生世代はかなり敏感に、各方面からの情報を見て聞いてシェアしていた、という印象。(こっちではPPTの他に、D Cardという大学生中心の掲示板が多く使われてます)

日本にいる間、娘氏が、この肺炎はやばそうだ、としきりに言っていましたが、平和ボケで実感がなかったのは母の私の方で。上野でマスクを大量買いしている中国人観光客らしき人を見て、ぼんやりと、マスクか~なんて思ったり。まさか台湾に戻ってからマスクが全然手に入らないとは、このときには思いもよらず。

台湾に帰国後、ネットでマスクを買うも商品は届かず。そのうちに販売禁止(輸出も禁止)、2月6日から実名制が始まりました。7日につき2枚、健康保険カードで購入できる、というもの。3月6日からは、7日につき3枚の購入となり、3月12日からはAPPを使ってネット購入ができるようになりました。

で、旧正月から手に入らなくなったマスクですが、我が家はありがたいことに、数人の台湾の友達にマスクは足りてる?って声をかけてもらい、家に余分に備蓄が有るからといって、分けてくれる人もいて、マスクには困ることなく今まで過ごせています。感謝感激。持つべきものは本当に困った時に助けの手を差し出してくれる友達。

ちなみに健康保険カードにはICチップが入っていて、海外渡航歴とも紐付いています。

台湾は、海外から入境の人について、どこの国から来たかによって、自宅隔離、自宅検疫、自己健康管理、と三段階に分かれた規制がしかれ、レベルによっては期間(14日間以内)に勝手に出歩いたりしたら罰金とかもあって、取り締まりもかなり厳しくしています。

感染したら入境以降の行動歴も公表されているようだし、悪質な人には公開処刑かというほどに、職場や名前も晒されたりするので、いやはや。

さて、本日3月17日時点で、台湾での感染者数は67人。ここ数日の感染者は、海外旅行から戻ってきた人がほとんどで、こんな時期に旅行だなんてナニゴトだ、非常識だ、とバッシングの嵐が吹き荒れています。

更に、高校生以下の学生と教師は今学期の学期末まで海外渡航禁止、なる令も出ました。

昨日感染が発覚した8人のうち、2人が南部の人で、トルコのツアーから帰ってきた人でしたが、今朝会社につくと、早速ざわついていました。その2人がどこのエリアに住んで、どの病院に行って、どの店に立ち寄ったか、あっという間に広まっていました。すごい。君等は探偵か!と思うほど。

市民の意識は非常に高くアンテナもすごい。きっとそれは、国の規模も関係しているのでしょう。ちゃんとやらないと国が潰れる、みたいな意識を持ってる人が多いように思います。小さいからね。

で、私が働く会社の入っているビルは、旧正月明けから、入り口には消毒を常備、出入りする人は必ずマスク着用。昨日からは入り口にサーモセンサー登場。空港か!


古いビルでセントラル空調なこと、また、入っている企業数も多く来客等の出入りも多いので、ビルの管理会社がかなり用心しているようです。

一日も早く沈静化しますように。

2020/01/10

2020

義父が亡くなって1年になりました。
 
思い起こせば8年前に義父が倒れたのをきっかけに、後妻さんとの争い、家族間のいざこざ、介護、義母の認知症、いろんな荒波が次から次に押し寄せてきて、大変な日々でした。
 
去年の1月、旧正月前に慌ただしくも、しかし私達なりに誠意を込めて義父を見送りました。
 
老人ホームを転々とし、最後の2年間は完全経鼻栄養で、口から食べるということもできず、意識はあるものの寝たきりになり、義父本人は相当辛かっただろうなと思います。
 
義父が倒れてからの7年間、ずっとホームにお世話になったわけですが、支出の合計は約300万元。一年で42.8万元、一月で3.57万元。
 
ホームの費用としては3万弱/月かかっていましたが、平たくすると3.57万元/月だったのか~・・・ふむ
 
行政院主計總處の調査によると、2018年の国民の年間所得平均は65.58万元ということで、月換算だと5.47万元になりますが、これは統計の妙で確実に一部の高所得者によって、上に引き上げられたんじゃないかと思うんですけど。。。何が言いたいかというと、月収5.47万から3.57万を出すのは難しくなさそうだけど、実際ボリューム層は月収3.5~4万くらいが多いのが実情じゃないかと思い、そうなると、ねぇ。少子化にもなるよなぁ。
 
どんな老後になるかにもよりますが、お金はけっこうかかるものね、っていう話。
 
いや、違うか。義父さん、今週末に一周忌のお参りに行くから待っててね、が正しかった。
 
で、台湾は今週末、総統選挙です。どうなるか。

私が台湾に来たのが2000年。それまでは国民党が台湾の長として国を治めていましたが、民進党の陳水扁が総統になった年でした。あれから20年、良くも悪くもこの国は大きく変わりました。これからまたどんなふうに変わっていくのか・・・